サウルの息子
~ SAUL FIA ~
作品情報
監督・キャスト
監督: ネメシュ・ラースロー
キャスト: ルーリグ・ゲーザ、モルナール・レヴェンテ、ユルス・レチン、トッド・シャルモン、ジョーテール・シャーンドル、アミタイ・ケダー、イエジィ・ヴォルチャク
受賞
・第68回カンヌ国際映画祭 グランプリ
・ニューヨーク映画批評家協会賞
・ゴールデングローブ賞 外国語映画賞
・第88回アカデミー賞 外国語映画賞
その他多数受賞。
日本公開日
公開: 2016年1月23日
レビュー
☆☆☆☆☆
観賞: 2016年1月27日 劇場観賞
夜中にマツコ・デラックスが街を徘徊するというバラエティを見ながら、ああ、これだよ。と思った。
いや、映像の技術や演出の事では無く、視点。
カメラは常に主人公の姿と彼が見ている世界を撮る。主人公越しに撮る。
結果、私たちは主人公の後ろ頭のどアップばかり見るようになり、その周りにあるボケた背景に興味を持つ。
興味…と、恐怖。
一体、「そこ」に何が映っているのか…。
あらすじ
◆あらすじ
1944年10月、ハンガリー系ユダヤ人のサウル(ルーリグ・ゲーザ)は、アウシュビッツ=ビルケナウ収容所でナチスから特殊部隊“ゾンダーコマンド”に選抜され、次々と到着する同胞たちの死体処理の仕事に就いていた。ある日、ガス室で息子らしき少年を発見した彼は、直後に殺されてしまったその少年の弔いをしようとするが……。(シネマトゥデイより引用)
主人公を追う視点
地獄の中で働かされている人達を観客自身が味わう作品。
視点は常に主人公を追って動いている。だから、私たちの目はあの地獄の中に共にいるのである。
その分、客観的に全体を見ることが許されなくなる。
そこに何があるのか確認する事が出来ず、主人公の心理状態も、この男が真実欲している物もよく見えず、「こんな大変な時に何やってるんだよ」とイライラする。
アウシュビッツ=ビルケナウのゾンダーコマンド
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所は絶滅収容所である。積極的にユダヤ人迫害を行っていたハンガリーからは、この映画の舞台である1944年に45万人余りのユダヤ人がアウシュビッツに移送された。
絶滅収容所ではゾンダーコマンドと呼ばれる遺体処理班に遺体を処理させていた。
ユダヤ人自身にユダヤ人の処分をさせていたのである。
移送されてきたユダヤ人を次々とガス室に送り、事後処理をさせる。
しかし、彼らだって刑を免れるわけではない。
同じユダヤ人を生かし続けていたら収容所内で行われている事が外に漏れるかも知れず、証拠を残さないために入れ替える。
ゾンダーコマンドたちはその事を承知で遺体の処分をしている。当然、楽しくてやっているわけでも職務に忠実でいるためでもなく、ただ生きているから動いているだけである。
だから、ここに感動なんてない。
サウルは感動したかったのかもね。
だから探し続けたのかも知れない。あの中では「人間」でいることは無理だ。
「息子」は彼の生活の中に唯一現れた変化だった。
彼にとっては革命よりも何よりも「弔い」が人間でいるための方法だったのだ。
今まで見てきたホロコースト題材作品の中で最も辛い思いをした。
あの世界の中に自分も居るという奇妙な感覚が精神を不安定にするのである。
ラストまで。
あの笑顔まで。
以下ネタバレ感想
「お前に息子なんかいない」
そう、サウルに息子などいないのだ。
サウルの息子とは……
脱走後、穴を掘りながらラビに「名前は?」と尋ねられ、答える事が出来ない。そんなもの初めからいないから。
ならば、なぜサウルは「息子」を埋葬したかったのか。
ユダヤ教では遺体の火葬は行わない。火葬したら復活できなくなるから。
ラビを見つけて正式なユダヤ式の埋葬をしたかった。サウルはユダヤの子どもを復活させたかったのだ。
それは、誰の子供でもたぶん良かった。未来を託せるユダヤ人が欲しかった。
おかしくなっていたんじゃないの?と言われればそれまでの事。
だって、おかしくならない方が異常だよ。
殺す方もおとなしく殺される方も、みんな狂っている。それがあの世界の常識だ。
ラスト、サウルは小屋を覗く「息子」を見つけて微笑む。
埋葬は成功した。ユダヤの子どもが復活した。
そして銃声。
現実は妄想すら許さない。
虐殺が許される世界に救いなどない。
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