ドッグマン
原題 : ~ DOGMAN ~
作品情報
監督・キャスト
監督: マッテオ・ガローネ
キャスト: マーセロ・フォンテ、エドアルド・ペーシェ、アリダ・バルダリ・カラブリア、アダモ・ディオジーニ、フランチェスコ・アクアローリ、ジャンルカ・ゴビ
受賞
第71回 カンヌ国際映画祭・男優賞(マルチェロ・フォンテ)
日本公開日
公開: 2019年08月23日
レビュー
☆☆☆
劇場観賞: 2019年08月09日(試写会)
搾取される人が、どう追い詰められるかという話。暴力が人間を支配する図がリアル過ぎて逃げ出したくなった。ジャイアンはのび太くんの友達ではないと常々思っているのに、どうしてこうなるの……。
あらすじ
イタリアのさびれた海辺の町。娘と犬をこよなく愛する温厚で小心者のマルチェロは、質素ながらも「ドッグマン」という犬のトリミングサロンを経営し、気のおけない仲間との食事やサッカーを楽しむ日々を送っている。だが一方で、その穏やかな生活をおびやかす暴力的な友人シモーネに利用され、従属的な関係から抜け出せずにいた。ある日、シモーネから持ち掛けられた、儲け話を断り切れず片棒を担ぐ羽目になったマルチェロは…(Filmarksより引用)
実話ベースの事件もの
1988年、イタリアで実際に起きた事件に監督がインスパイアされて撮った作品ということ。
暴力による支配と薬物中毒の影響、頼りにならない警察と法律、貧困と闇組織。
地域ごと貧しいがゆえに荒れている様相。見ていて辛い。そして暴力描写は恐い。
ここまでやって、なぜ警察はもっと動いてくれないのかという、お国柄差異にイライラする。
イジメと依存の構図
私は子どもの頃から『ドラえもん』があまり好きではない。ジャイアンは常に暴力で周りを制し、恐怖で「友達」を支配する。のび太は常に理不尽なパシリ要員。何かと仲間外れにされている。なのに、のび太は何故か彼らを「友達」だと思っていて、仲間外れを嘆いたりしている。ドラえもんの仕事のほとんどはジャイアン対策だ。
そんなにジャイアンが恐ろしいならもっと大人に助けを求めたり近づかないようにすればいいのに、と思うが、のび太は逃げたり隠れたりしつつもジャイアンにすり寄ったりもする。そして、ドラえもんを使って復讐する。自分の行いにはあまり反省がない。だから同じことを繰り返す。
結局、ジャイアンはのび太という子分要員に依存しているし、のび太もジャイアンという数少ない友達に依存しているのだ。
この構図がマルチェロとシモーネにそっくり!
なぜそんなにヤツの命令を聞いてしまうのか……たくさん嘘を吐かれているのに。ジャイアンは友達じゃないって、本当は分かっているでしょ。
ガリガリすぎるほど細くて小さいマルチェロと巨漢のシモーネの体格差がまた怖くて怖くて。そんな所もジャイアンに似ているシモーネ。
マルチェロの笑顔が気持ち悪い(ほめてます)
マルチェロは冒頭から不自然なほどニコニコ、いつもニコニコしている。何をされてもニコニコ、何が起きてもニコニコ。いや、ニヤニヤかな。
この笑顔が本当に気持ち悪い。これは、人生ずっと笑って誤魔化してきた人間の笑顔だ。世渡りのための笑顔。
悲しくても辛くても笑っているマルチェロの表情から、「笑ってる場合じゃない」表情になっていくマルチェロ・フォンテの演技が圧巻。
一番賢くて優しいのは吠えまくる犬たち
言うこと聞かなさそうな大きな犬も、みんなマルチェロに従順だし、犬を世話しているマルチェロはあんなに幸せそうだったのに。
薬も暴力も無くとも愛があれば言うことをきいてくれるのだと。
マルチェロは分かっているはずだったのに。
「飼われているのは俺だったのか」というのがチラシのコピーだったけれども、そういうことね。
「友達」について考える、ラストシーンの虚無感。
以下ネタバレ感想
シモーネの恐ろしさは逃げるより他の対策がないのに、わざわざすり寄って行ったり助けてやったりするマルチェロの気が知れなくて。
結局、「友達」だと思っていたのだろう。愚かにも。
町の友達の一人が言っていた「あいつはどうせ、いつか誰かが殺す。俺が手を汚す必要はない。」。
この「誰か」になってしまったマルチェロ。
実は町中からそう仕組まれたのかも知れない。とも思った。
シモーネは町の厄介者だった。
追いつめられたマルチェロが始末した。
町そのものから飼われていたマルチェロの足下に転がる「友達」の遺体。
友情という名の究極の搾取。
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