COLD WAR あの歌、2つの心
原題 : ~ Zimna wojna / Cold War ~
作品情報
監督・キャスト
監督: パヴェウ・パヴリコフスキ
キャスト: ヨアンナ・クーリグ、トマシュ・コット、アガタ・クレシャ、ボリス・シィッチ、ジャンヌ・バリバール、セドリック・カーン
受賞
第71回カンヌ国際映画祭 監督賞受賞
日本公開日
公開: 2019年06月28日
レビュー
☆☆☆
劇場観賞: 2019年07月09日
東西冷戦時代に引き裂かれた運命の恋人たち……だと思って観賞したのだけれど、この2人、たぶん、平和な世界に生まれていても同じようにグシャグシャになるで……という感想。
モノクロの映像に聞かせるボーカル、美しい。
見終って頭に残るのは、何種類ものオヨヨ~~……。
あらすじ
ピアニストのヴィクトルと歌手志望のズーラはポーランドの音楽舞踏学校で出会い、愛し合うようになる。冷戦中、ヴィクトルは政府に監視されるようになり、ベルリンでの公演時、パリに亡命する。歌手になったズーラは公演活動で訪れたパリやユーゴスラビアでヴィクトルと再会する。ズーラは彼とパリに住み始めるが、やがてポーランドに戻ってしまい、ヴィクトルも後を追う。…(Filmarksより引用)
ポーランド冷戦時代
第二次世界大戦後、自由主義社会のアメリカと社会主義の東側が対立する中、解放と云う名の支配をソ連から受けていたポーランドはスターリンの支配下にあった。
ヴィクトルはピアニストであり音楽舞踏学校の指導者だが、スターリンのお膝元で芸を見せるような舞台に反発心を持つようになる。支配下の音楽は自由ではない。
この作品は、なぜヴィクトルが監視されるようになったのかなど細かい説明はバッサリ省いて、流れるようなイメージで歴史を観るように出来ている。ポーランド、パリ、ベルリン、ユーゴスラビアを舞台に1949年から1964年までの15年間。「2つの心」を音楽の変化で魅せる映画。
1949年
ズーラは歌手志望で、審査員のヴィクトルと出会う。音楽舞踏学校はあちらこちらに遠征し、スターリン賛美の広告塔として使われる。
1952年
自由な音楽を求めて監視されていたヴィクトルはズーラを誘って公演先のベルリンから亡命。ズーラは来なかった。
1954年
パリに亡命していたヴィクトルは公演でパリへやってきたズーラと再会する。
1955年
ズーラの公演を見るためにユーゴスラビアへ。亡命者なので通報され、パリに送り返される。
1957年
パリで再会。。ズーラは結婚しており、ヴィクトルにも大切にしている女がいる。パリで「オヨヨ~イ」ジャズアレンジを歌わされるも、ズーラはヴィクトルの元カノが作った違訳詩が気に食わない。
1959年
去って行ったズーラを求めてポーランドへ入ったヴィクトルは強制収容所へ。そこで手を駄目にされ、音楽への希望は断たれる。
面会に来たズーラは、ヴィクトルを収容所から退所させることを固く約束する。
1964年
ポーランド。ズーラのステージを見に訪れたヴィクトルに、幼子を抱いたズーラの夫が話しかけている。舞台から下りたズーラは薬中のようにやつれた状態で、自分の子どもにも夫にも何の関心も示していない。
そして……。
民族音楽からジャズまでのオヨヨ~イ
公式サイトではトップページでサントラが視聴できるようになっている。
それだけ「音楽」が重要な作品。
ポーランドでは民族合唱曲が、パリではジャズとなり、時代や国で変化する。「2つの心」そのままに。
本来、ヴィクトルにとっては民衆音楽こそが魅力であり、プロパガンダに音楽が使われることには抵抗し続けたかったはず。
しかし、ズーラは自分自身の解放のために音楽を使い続け、また才能に溢れていた。ヴィクトルはそんなズーラを愛した。
この映画の礎となる民衆音楽は形を変えて流れ続ける。
「マズレク」参考記事
ズーラとヴィクトルが出会ったマズレクは、現存するポーランドの民族合唱舞踊団「マゾフシェ」をモデルにしている。パヴリコフスキ監督はマゾフシェのレパートリーの中から、この物語に共鳴する歌詞の「Dwa Serduszka(ドゥヴァ・セルドゥシュカ)」(2つの心)を含む三つの楽曲を選び、異なる時代に、異なるアレンジで、登場させている。(引用)
繰り返されて耳に残る「オヨヨイ」(“łojojoj”と書くらしい)は、詞の繋がりから考えても「昼も夜もずっと泣いている」「黒い瞳を濡らすのは一緒に居られないから」「オヨヨーイ」なのだから、[ およよ~い〇| ̄|_]だと思っていたのだけれども、ポーランドではこの「オヨヨイ」にあまり意味は無いらしい。
この『ヘイ!ヤシネック』というポーランド民謡なんてオヨヨイオヨヨイだらけ……。
あまりに自分勝手で奔放すぎる女だけれども、人生って1度きりだから自由に歌って生きてみたいよね。とは思える88分の恋模様である。
私にはヴィクトルが振り回されているように見えてしまうのだけれど、それが幸せならそれもまた仕方ないよね。
以下ネタバレ感想
この映画は監督のお母様について描かれているらしいので、つまり、ラストのステージの時に母親から何の関心も持たれていなかったあの坊やが監督ですよね。可哀想に。
しかし、こういう両親が監督に映画製作のインスピレーションを与えているのだから、これもまた徳なのだろう。物を作る人たちの人生は、何が禍で何が幸いか、他人の目線からでは計れない。
ずっと、教会で結婚式を挙げたかった。
死を持ってそれを叶えたラストシーン。
私には感動できなかったけれども、それもまた他人の人生。
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