バビロン
原題 : ~ Babylon ~
作品情報
監督・キャスト
監督: デイミアン・チャゼル
キャスト: ブラッド・ピット,マーゴット・ロビー,ディエゴ・カルバ,ジーン・スマート,ジョヴァン・アデポ,リ・ジャン・リ,P・J・バーン,ルーカス・ハース,オリビア・ハミルトン,トビー・マグワイア,マックス・ミンゲラ,ロリー・スコヴェル,キャサリン・ウォーターストーン,フリー,ジェフ・ガーリン,エリック・ロバーツ,イーサン・サプリー,サマラ・ウィーヴィング,オリヴィア・ワイルド
日本公開日
公開: 2023年02月10日
レビュー
☆☆☆☆
劇場観賞: 2023年2月12日
この映画は「映画愛がどうとか」ではなくて、デイミアン・チャゼルとジャスティン・ハーウィッツを愛する、「昔は良かった」から卒業できない孤独をこじらせた層に愛してもらいたい。
これが今年最高の名作かどうかは分からないけれど、今日、今年一番好きな映画を観た。それは絶対。
あらすじ
1920年代のハリウッドは、すべての夢が叶う場所。サイレント映画の大スター、ジャック(ブラッド・ピット)は毎晩開かれる映画業界の豪華なパーティの主役だ。会場では大スターを夢見る、新人女優ネリー(マーゴット・ロビー)と、映画製作を夢見る青年マニー(ディエゴ・カルバ)が、運命的な出会いを果たし、心を通わせる。恐れ知らずで奔放なネリーは、特別な輝きで周囲を魅了し、スターへの道を駆け上がっていく……(Filmarksより引用)
デイミアン・チャゼル 懐古主義ロマンス
デイミアン・チャゼルの映画について喋りだしたら私はきっと気持ち悪いストーカーくらい泣きながら語ってしまう。
今日だって「あの時マニーが泣いた理由を心から理解できるのは私だけ!」みたいに思っている……自分が恐い(笑)
この人の作品は過去愛に生きている。この 作品の中にも「過去」があった。
そこは、もう戻れない所だからこそ愛しい。
『ラ・ラ・ランド』で2人の過去がメリーゴーランドのようにクルクル流れたように。
『ファースト・マン』でニールがカレンの姿を探し続けるように。
マニーも自分が一番愛しかった時代を振り返る。
戻れないことを知るたびに、胸が張り裂けそうなほどの寂しさと温かさが伝わる。
映画愛に溢れています
冒頭で「映画愛がなんちゃらではなくて、」と書いたのにナンだけれど(笑)作品の内容はハリウッド史である。
しかし、そのスケールと視点は目を見張るデッカさと面白さ。
1920年代 サイレント映画
物語は1920年代、サイレント映画の時代から始まる。
映画に音声はなく、役者が演じて観客は字幕で楽しむ。
ハリウッドは広大な敷地にいくつもの「セット」。へぇ、こんな風になっていたのか……というトリビア的面白さ。
ライトは自然任せ、CGはない、エキストラは暴走。パーティはドラッグOKの乱痴気。
ネリーは女優として、マニーは助手として、「セット」の一番近くに居る人を夢見る。
トーキーの時代へ
割と自由に役者が動いていたサイレントの時代から、1920年代後半になるとトーキー映画の時代がやって来る。
そして自由だった役者たちは「音声」という縛りに苦しみ出すのだった。
もちろん、役者さんが戸惑ったことも、練習が大変だったことも、想像は出来る……出来ていたつもりだった。
それが「こんなに大変だったとは!」が、バビロンでは描かれる。
世相も酒池肉林の乱痴気バーティが許されていた時代から、役者はハイブランドなご職業であると認められた上流階級の時代へ……。
ひと昔前のブラック・パワハラOKの時代から、令和のフラットさについてこられない団塊、団塊ジュニア世代サラリーマンのように、いつの時代も流れについて行けない人たちがいる。
それも切ない。
ジャスティン・ハーウィッツ
ジャスティン・ハーウィッツが作るあのリピートリピートするリズムを聞いているだけで泣けてくるラ・ラ・ランド現象。
ジャスティン・ハーウィッツとチャゼル監督は御学友でバンド仲間だったということ。
あの映像とストーリーと音楽がこんなにピッタリとハマっていることを考えると、これはもう奇跡の出会いよね。
思い出を揺り起こす音。
チャゼル監督の作品は、歌って踊らなくてもジャスティン・ハーウィッツ製のミュージカルだと思う。
何だかんだでチャゼル節なの
乱痴気パーティの下りといい、撮影のドタバタといい、サイレント時代は映画は無音なのに世間は騒音だらけでコメディの様相。
けれども、映画に音が付くにつれ、世間は物静かになっていく。
物静かな世間の中で物静かでは居られない人たちの哀れ。
そこに自分の孤独も重ねられる人が、この映画を愛することができる人。
以下ネタバレ感想
私は滅茶苦茶な生き方を貫くネリーがとても好き。マーゴット・ロビーの情熱的な美しさがこの役になんとピッタリなこと。
若くして無声映画でスターになり、その演技と野性的な美貌で駆け上がっていった。
しかし、音を録るようになると、自由に動けなくなった。
指定の位置に立てない。程よい大きさの声が出せない。美しい声で語れない。セリフも覚えなくてはならない……そう、セリフ。サイレントの時代にはセリフがないんだよね。そんなことにも今さら気づいた。
私は自分の力でやってきた。
誰にも引きずりおろせない。
でも……魔法の力は溶けていく。
コンラッド、ネリー、マニー……それぞれの末路が切ない。
俳優は記録の中で生き続ける。
いつでも、何かしらの手段で過去作に出会うたびに、亡くなった俳優さんもそこに居る。
それは永遠に生きているのと同じこと。
マニーはずっと魔法の近くに居ることはできなかった。
スクリーンの中に一緒に生きて来た人たちの姿は探すことができる。
でも、もうその光の中には永遠に戻れない。
戻れないから、涙が出る。
・象のロケット
★前田有一の超映画批評★
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