エール!
~ La Famille Bélier ~
監督: エリック・ラルティゴ
キャスト: ルアンヌ・エメラ、カリン・ヴィアール、フランソワ・ダミアン、エリック・エルモスニーノ、ロクサーヌ・デュラン、イリアン・ベルガラ、ルカ・ジェルベール
公開: 2015年10月31日 観賞: 2015年9月18日(試写会)
家族の中でたった一人だけ音のある世界に生きるポーラ。自分の世界にはない物を親は受け入れる事が出来るのか。旅立ちは認めてもらえるのか。子どもと大人の狭間にある少女にとっての「家族」の物語。
◆あらすじ
フランスの片田舎の農家であるベリエ家は、高校生の長女ポーラ(ルアンヌ・エメラ)以外、全員が聴覚障害者。ある日音楽教師トマソン(エリック・エルモスニーノ)に歌の才能を認められ、パリの音楽学校で行われるオーディションを勧められたポーラは喜ぶものの、歌声を聴けない家族から反対される。家族のコミュニケーションに欠かせないポーラは、考えた揚げ句……。(シネマトゥデイより引用)
早朝から牛のお産の世話をして両親のために獣医師と手話で通訳。学校へ行き授業中に居眠り。終ったら両親の通院について行って通訳。その後は市場の家族の店でチーズを売る手伝い…。「母は笑う役、私は喋る役です」
この子の1日は一体何時間あるのだろうと思った。見ているだけで過労になりそう。。
といっても障害を背負って暗く悲壮感漂う家族を描くのではなく、描写はカラッとユーモラス。笑えるシーンがいっぱいある。
明るくて元気で脳天気で…ちょっと空気読めない母。大らかで正直で自信家で…ちょっと空気読めない父。。たぶん、だいぶ空気読んでる上で飄々としている…ちょっと性に関心持ちすぎな弟。
両親は「家族は一つでずっと一緒」だと信じていた。娘が自分たちの耳であり口であることは当たり前だと信じていた。けれどもポーラは見つけてしまった。「夢」を。
親は子供の足枷になり、背中を押すのもまた親の役目。自分の世界にない「音楽」に才能を見出された娘に両親はエールを送ることが出来るのか。子離れ親離れの物語。
案外歌がガッツリ聞けないんだなぁ…と思っていたのだが、後半に行くにつれて歌の幅は大きくなり、クライマックスには感動のソロを聞く事が出来る。
音が聞こえない家族の「耳」を映画の観客に体験させるシーンがある。その中で、両親がポーラの評価を見て「聴く」…そして理解する。その描写が素晴らしい。
自分を理解しない両親への反抗心と、1人だけ違う世界に住んでいる孤独に悩むポーラの姿もリアリティがある。離れたいけれども離れたくない。大人と子供の狭間。何より、いい家族だもの!
障害に対して決してベタベタした描き方ではなく、あくまでも明るく、歌の力もあってクライマックスの感動がハンパ無い名作。
ここから下ネタバレ↓観てない方は観てから読んでね
「毒親」という言葉が近年流行りだして、あまり好きじゃないのだが、この場合もそうなっちゃうんでしょうね。
実際、ママはポーラが出て行くという事実を受け入れられない。受け入れられなくてついつい「育ててやったこと」を口にしてしまう。「ママが嫌いなのね」と言ってしまう。
障害がなくたってこんな親どこにでもいる。子どもの声が聞こえない親。人間は我がままだからね。でも、それだけ愛してるってことなんだよね。そういう親を「毒親」で片づけるのは寂しい。
ポーラにとっては別に家族から離れたいわけじゃない。ただ行きたい場所がパリにあるだけ。手話の通訳がイヤなわけじゃない。ただ自分の道を歩きたいだけ。
その思いで選んだ歌「Je vole」でのオーディション。
~♪ 愛するパパとママ。私は旅立つの。
2人とも大好きだけど旅立つの。
もう子どもじゃないの。 今夜 逃げるのではなく飛び立つの。
解ってね。旅立つの ~♪~
この歌詞……。
手話を使って両親に向かう。家族はポーラの歌をあの時「聴いた」のだ。
問題を投げ出さず、あきらめず、ぶつかったから叶った夢。才能だけじゃなくて、人生には立ち向かうコミュニケーションが必要で、そして愛も必要なのだと。自然にそう思わせてくれた。
ポーラをこう育てたのは間違いなくこの両親で、だからやはり最高の親子で最高の家族。
大丈夫。子どもを愛しすぎることも縛る事も決して毒ではなく、歌声を聞く事が出来た時に解放は成される。温かくそう教えてくれる作品だった。
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