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『ソウォン 願い』生まれてくれてありがとう

ソウォン 願い~ 소원 / Hope ~

   

監督: イ・ジュンイク   
キャスト: ソル・ギョング、オム・ジウォン、キム・ヘスク、キム・サンホ、ラ・ミラン、イ・レ
公開: 2014年8月9日

2015年3月29日。DVD観賞

一緒にレンタルしてきて昨日見たばかりの『殺人の疑惑』と比べる必要もないのについ比べて考えてしまう。 「実際の事件ベース」…社会派韓国映画に近年有りがちな謳い文句。その両極端な例を見たんだな…と思ってしまった。

もちろん…。見たかったのはこっちだ。

事件の残酷性や社会の問題はあまねく取り上げ、かといって決してステレオタイプに関わった人たちの嘆きや復讐心だけを取り上げるのではなく、むしろ事件が起きた事によって出来上がる絆を描く。

描かれるのは人の心の温かさ。

【あらすじ】
昌原(チャンウォン)に住むドンフンの一家は、工場で働くドンフン(ソル・ギョング)、雑貨屋を経営する妻・ミヒ(オム・ジウォン)、8歳の小学生ソウォン(イ・レ)の3人家族。真面目で不器用な父親ドンフンはソウォンの教育はミヒに任せ、余裕は無いながらも平凡で平和な日々を過ごしていた。
ある雨の日、遅刻しそうになりながら1人で学校へ急ぐソウォンにフラフラした工員風の男が凧を持って近づいてきた。「かわいい傘だね」「入れてくれないか?」。
その日、ドンフンは職場で警察からの電話を受け、ソウォンが瀕死の状態で病院に運び込まれた事を知る。その時から家族の生活が一変していった。

事件の内容は詳細には描かれない。それでも、刑事や医師の口から語られるソウォンの身体の状態や処置の内容からどんな事になったのかは想像がつく。たった8歳で一生人工肛門を使う身体…。

私も身内が病気でそうなるまでは、「人工肛門」という物がどんな物なのか具体的には知らなかった。腸を切断してヘソの上辺りから出すのである。お腹の外に腸の穴が出来ている状態だ。そしてそこにストーマーという「袋」を取り付ける。排出物はその袋に溜まった物を自分で処理するのだ。

当然、消化の良さや温度、繊維を避けたり固さに気を配ったり…食べ物にも制限が出てくる。年を取ってからの病によるこの状態だって負担なのに、たった8歳。酷すぎる。

この作品は2008年に発生した「チョ・ドゥスン事件」をモデルにしたものらしい。

冒頭にも書いたように、決してステレオタイプに事件の酷さだけを語るための作品ではないので、事件については後ほどネタバレ欄にサラッと書かせていただきます。

事件の酷さと両親の嘆きはもちろん痛々しいほど描かれ涙を誘うが、この映画で泣かされるのはそういう部分では無い。

事件に遭遇した幼い娘の心のケアに試行錯誤で奔走する両親。

難しい年頃になりかけていたソウォンと、今まであまり密な接触をしてこなかった父・ドンフンが、娘との絆を取り戻すための不器用な努力。

悲しみで押しつぶされそうな両親を支えてくれる長年の友達、ケアウォーカー、刑事、ソウォンの友達。

事件が起きると被害者の気持ちを踏みにじるように生活に踏み込んでくるマスコミへの怒りに震え、こんな身になっても両親に気を配るソウォンに泣き、周りの人たちの人情に泣く。
最終的には…もう、ずっと泣きっぱなしなのだった。

極めてリアリティのある映像の中に差し挟まれるソウォンを慰めるためのココモンの世界に癒される。

久しぶりに凄い韓国映画を見たなぁ…と思う。

辛い真実の果てに見えるほんの少しの希望。

「なぜ生まれて来たのか?」

子どもがそんな事を考えなくてもいい世界を。
きちんと考えるための映画。

【関連記事】
実際の事件を描いた映画10選 ギャザリー

 

ここから下ネタバレ観てない方は観てから読んでね 

    


「学校へ行けない」「恥ずかしい」「悪い噂が立つ」

ソウォンが言っていた言葉は世間の目だ。

マスコミが取り上げる自分のニュース。両親の嘆き。好奇の目。変わってしまった身体。

それでもソウォンは両親を心配する。「パパとママが私のせいで働けない」。優しい子なのだ。そもそも優しいからこんな事になった。恐かったのに学校へ駆け込まなかったのは「雨でおじさんが濡れてしまうと思ったから」。

現実と未来への希望を失い、楽しい事を忘れた娘を何とか引き戻そうとココモンになりきるドンフンに笑ったり泣かされたり。

性暴力に遭ったわけだから、娘の心は「大人の男性」に対して閉ざされている。自分も含めて。

ココモンにならなければ娘に笑ってもらう事も抱きしめる事すらも出来ないのである。その滑稽なまでの一生懸命さ。

そして、ドンフン夫婦を支えてくれるクァンシク夫妻のぶっきら棒な優しさにも泣いた。

結局、人を救うのは人の手でしかないんだ。

モデルとされている「チョ・ドゥスン事件」では、被害者の少女は頭部を殴られ首を絞められた上で暴行されている。DNAの証拠を消すために被害者の体内にトイレ清掃のための吸出し器具を挿入したため、被害者は大腸と性器を含む内臓の一部を失う障害を負った。

「証拠を残さないように」後始末をしようとしたのである。どこも心神耗弱じゃないじゃないか…。何なのだろう、あのいい加減な判決は。

しかし『トガニ』と同じく、この事件の判決の甘さに世間が声を上げたために、児童性犯罪に対する刑量の引き上げや犯罪者に対する顔写真公開、公訴時効の廃止など児童性暴行防止対策法案が改正させられる切っ掛けになった。

そう考えるとマスコミも悪意と憎悪の対象とばかりも言えない。きちんと動いてくれれば世界だって変わるし、本来ペンの力とはそういうもののはずだ。

この作品はそこまでは描かれず、理不尽な裁判結果に嘆きつつも少しずつ前を向く家族の姿を映して幕を閉じる。

「つらい目に遭った人が笑顔でいるのは、周りのみんなにつらい思いをさせないためだ。」

こんなにも辛い目に遭った少女が、こんなにも周りを気づかって生きている。

それは、みんなも辛いと解っているから。
辛い時に助けてくれるのもまた人なのだと知っているから。

「望み」を失わない事がソウォンの「願い」。

どこまでも優しい人たちの話だ。

  


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・象のロケット

★前田有一の超映画批評★

 

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