声をかくす人
~ The Conspirator ~
監督: ロバート・レッドフォード
出演: ジェームズ・マカヴォイ、ロビン・ライト、ケヴィン・クライン、エヴァン・レイチェル・ウッド、ダニー・ヒューストン、ジャスティン・ロング、コルム・ミーニイ、アレクシス・ブレデル、ジェームズ・バッジ・デール、ジョニー・シモンズ、トビー・ケベル、ジョナサン・グロフ、トム・ウィルキンソン
公開: 2012年10月27日
2013年5月9日。DVD観賞。
とんでもなく薄っすい感想しか書けなかった「リンカーン」からの、ここ。である。
リンカーン大統領が暗殺された事は有名な話だが、その犯人が誰でその後どうなったのかを知る人はあまりいないだろう。
1865年4月14日午後10時頃、エイブラハム・リンカーンは妻・メアリー・トッド・リンカーンとフォード劇場で観劇中に後頭部を撃たれた。
犯人は、ジョン・ウィルクス・ブースという南部連合支持者の俳優。
ブースは農場に逃げ込み隠れている所を射殺され、その仲間として8名が逮捕される。
いずれも南部連合の支持者であり、つまり、リンカーンの暗殺は南北戦争の結果…映画「リンカーン」で描かれた結果への不満だった。
この映画は、逮捕された8名の中の1人で唯一の女性であるメアリー・サラットの裁判劇を描いたものである。
フレデリック・エイキンは、引き受けたくない気持ちでいっぱいだったところを半ば強制的にメアリーの弁護人として着任させられる。
弁護などやりたくないのは当然。リンカーンの暗殺は国家への大罪であり、この事件の発端が北を憎む南の仕業なのだとしたら、北としては犯人に重罪を与えることで南に復讐しなくてはならなかったからだ。
エイキン自身も戦争に参加して北部のために戦っている。大統領を暗殺した犯人の一味の弁護など引き受けたくはなかった。
しかし、彼に弁護を依頼したジョンソン議員はいうのだ。
皆に弁護を受ける権利がある。だから弁護する。弁護士としてやるべきことをしろ。
と。
普通の裁判ではなく軍法会議だ。最初の公判で「私は無実です」と、メアリーはいう。
結末が決まっている裁判で、大きな権力に法の力で立ち向かおうとするエイキンの戦い。
ほとんどが裁判とそれに纏わるシーンなのに、少しも飽きることなく最後まで緊張と怒りを持って見た。
「彼女の罪は最期まで秘密を守ろうとしたこと」
というのがこの映画のキャッチコピーだけれども、たぶん、「彼女の罪は母親である事」だったのだと思う。
日本だって現代だって、凶悪犯の親の所にマスコミはインタビューに行くじゃないか。犯人の身内に嫌がらせをしたり、身内である責任を問うでしょう?
犯罪者の親は犯罪者なのですか?
ここではそうだった。結局、誰が犯人でも良かったのだ。そうする事で国家の面目が保てれば。
原題は、The Conspirator「共謀者」だ。
「声をかくす人」とは、絶妙な邦題だと思った。
果たして声を隠しているのは誰なのだろう。
ここから下ネタバレ↓観てない方は観てから読んでね
エイキンは、ただ「弁護士としてやるべきこと」に邁進しただけだった。
そもそも民間人を軍事裁判にかけることは憲法違反だ。そんな異常な状態の中で行われる勝ち目のない裁判。
検察の証人はみんな仕組まれている証人で、証言は嘘ばかりだ。元より「有罪」の判決しか用意されていない裁判だった。
初めは、北部の人間と同じ目でメアリーを見ていたエイキンも、この仕組まれた裁判の中で次第に法を守る心に目覚めてくる。
メアリーを救うには、彼女が沈黙している息子の罪を暴くしかない。犯人一味なのは、誰がどう考えても息子の方なのだ。
最終弁論でエイキンは訴える。軍事会議にいる全ての人々に。
こんな貧弱な根拠で母親が有罪になるのなら誰もが有罪です。
裁判官の皆様、復讐の念でメアリー・サラットを罰し、神聖な法を汚さないで下さい。
法のために大勢が死んだのです。
けれども北にとっては、そんな事はどうでも良いことだった。
犯人が息子でも母親でも、罪人を全て速やかに処刑する事。
戦争の爪痕を埋める裁判に、法の力は無力だった。
メアリー・サラットは処刑され、エイキンは弁護士を辞めた。
形見の品を渡そうとしたエイキンに、メアリーの息子はいう。
貴方の方が、いい息子でした。
劇中の人は誰1人泣いていないのに、たまらなく泣けた。
大勢の声を抑えて正しい裁判のあり方を主張しても通用しなかった無力さ。正義が通じない理不尽な世界は確かにある。
フレデリック・エイキンは、この後、「ワシントン・ポスト」誌の初代社会部長になったという。
正義を述べるのには、法よりもペンを選んだという事なのだろうか。
メアリー・サラットの処刑から1年後、アメリカでは戦時でも民間人を軍法会議で裁くことが禁じられた。
正しい事を正しいと言える場を失くしてはならない。
どんな世界であっても、真実を見ようとする目を失ってはならない。
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