十三人の刺客
監督: 三池崇史
出演: 役所広司、山田孝之、伊勢谷友介、沢村一樹、古田新太、六角精児、石垣佑磨、高岡蒼甫、波岡一喜、近藤公園、窪田正孝、伊原剛志、松方弘樹、吹石一恵、谷村美月、斎藤工、阿部進之介、光石研、内野聖陽、岸部一徳、平幹二朗、松本幸四郎、稲垣吾郎、市村正親
公開: 2010年9月25日
今さらだけど「十三人の刺客」である。(この記事は2012年11月に書いています。)
2010年9月25日。確か、公開初日観賞…だと思った。1人で行ったのを覚えている。
レビューをおサボリしていて、もう書けなくなってしまっていた所を先日CS日本映画専門チャンネルが放送してくれたので、見直して書く事が出来た。
しかし、本当はもう見直したくなんかなかった。
嫌いな映画だとか駄作だとかそういう意味ではなく、あまりにも壮絶だったから。
この映画の後半に当たる長い長い戦闘描写の中に、死んでいく人間の凄まじい最期の姿を本当に見たので…今さら見直したくなかったのである。
だって、あの人たちは私の中ではもう死んだ人たちなのだから。
時は江戸時代後期の弘化元年(1844年)。将軍の異母弟にあたる明石藩主松平斉韶は暴虐・無法の振舞い多く、明石藩江戸家老間宮図書は老中土井大炊頭屋敷前にて切腹、憤死した。幕閣では大炊頭を中心に善後策を検討したが、将軍の意により、斉韶にはお咎めなし、となった。斉韶の老中就任が来春に内定していることを知る大炊頭は、やむなく暗黙のうちに斉韶を討ち取ることを決意し、御目付役の島田新左衛門を呼び出した。新左衛門は大炊頭の意を受け、自身を含めて13人で、参勤交代帰国途上の中山道落合宿にて斉韶を討つことにした。(「十三人の刺客(2010年の映画)」by Wikipedia より引用)
1963年に工藤栄一監督によるオリジナル版が公開されている。この映画はそのリメイク版。谺雄一郎氏による同名小説はオリジナル版のシナリオから書かれたものであり、原作ではない。
オリジナル版は未見ですが、色々と違う設定になっているらしい。
たぶん、一番大きな違いは、後半の戦闘シーンの相手の人数だと思うの。
オリジナル版では53人対13人なわけだが、このリメイク版では何と300人対13人!!
53人なら13人剣豪を集めれば何かの偶然で勝てるかも…知れないね…と、まだ思えるけれども、300人となったら考えなくても無理無理無理無理…と思ってしまう。
そこは、一挙に相手の人数を減らす工夫をしています。だから映像が派手でセットも大がかり。
この辺は三池監督らしいところ。
・敵を一気に潰すためにあちこちに有りえないような骨組みが……。
この辺りはエンターテイメントなのだからっ!
と、思って楽しんで見ればいいと思う。私もそうだった。
この映画の見どころは、この大がかりな仕掛けが終わった後の人間対人間の死闘が全てなのだもの。
全体的に前半にも後半にもグロいシーンがあります。(PG12指定です)
前半のグロいシーンというのは、全てがこの作品の中の「倒すべき人間」松平斉韶の仕業なんだけどね…。
それが執拗に…耐えられないくらい残酷に描かれるほど「こんなやつは罰を受けて当たり前だ」と、劇中でも、見ている者にも思わせる事が出来るので必要なシーンなのだろう。
(とにかく…三池監督の映画なのですよ。色んな意味で)
そして、後半の人対人の戦いになってからはもう、役者さんたちの執念籠った演技が素晴らしいのです。
役所さんは私にとっては今だに「千石さん」…。殺陣がすごく好き。
2年前に劇場で観た時は、まだチェックしてなかった窪田正孝くん。この時から「必死な人」が上手かったんだなぁ。「平清盛」重盛はここにすでにいた。
ちなみに…松平斉韶公は、実在した人物ですが、この作品は全てフィクションです!
ただ、斉韶公の後を継いだ養子の松平斉宣公が将軍の実子であり、参勤交代中に幼い子どもを処罰して父親に射殺されたなどという言い伝え(真偽は不明)が残っているので、たぶんモデルは斉韶公ではなくて斉宣公なのだと思われる。
松平斉韶公についてはほとんど資料はなく、恐らくこんな人物ではなかったと思うので、草葉の陰で泣いておられると思います……。
そんなこんなで実話ではないけれども、
人間ってこんなに頑張れるのか…。
とか、
人間ってここまで執念深くなれるのか…。
とか…
もう、本当に魂持っていかれるかというくらいに「生と死」について見せつけられるので…見てね、お薦めっ!とは言えないけれども機会があって好みだったらぜひご覧になってみて下さい。
ここから下ネタバレ↓観てない方は観てから読んでね
映画やドラマで切腹シーンを見るたびに思う……。腹なんか斬るより心臓一突きした方が早く死ねるのに…(そういう問題じゃないっ )
内野聖陽さんが何と冒頭のこのシーンだけで退場。贅沢なキャストの使い方……。
前半は松平斉韶の描写はグロくて惨くて酷いものの、13人がどんどん集まる様子や障子開けっ放しの計画会議を見ていて「こんなに軽くていいのかさ」と思っていた。
あまり大した作品じゃないかも~という予想は後半に大きく覆された。
だって、仲間との心の繋がりも、武士の信念も、人間の執念も、全てほとんどセリフがない後半の戦闘シーンの中にあるんだもの。
「刀なんか大根切るくらいしか役に立たない」と言われちゃう泰平の世で、武士としての死に場所を求めて、武士としての義を持って散っていく命たち。
強いわけでもない。弱いわけでもない。
切れるというわけではない、恐ろしく強いわけではない、だが負けぬ。
無理に勝ちに行かず、押し込まれてもなかなか動かず、最後には少しの差で勝つ。
島田新左衛門のこの武芸者としての性質がそのまま大戦となる13対300。
見応えがある中にも、あんな男でも守り通すことが武士のお仕事、と、ひたすら斉韶を守り続ける鬼頭半兵衛の忠義が切なかった。
斉韶の最期の「痛い…怖い…」には、ちょっと引いたけど。あれは、笑いながら首をはねられる、で良かった気がする。
さむらいとは面倒な物だ。
という新左衛門の今際の言葉には、サラリーマン的な哀愁も感じた。
ところで…
個人的に腑に落ちなかったのは山賊の小弥太なんですが…。
首に刀がグッサリ刺さっていたし、その後で斬られてもいたのに…なんで普通に生きてるの!?
あれは、仙人だったのだ…とか、「戦なんて、武士なんて、命を懸けるなんて馬鹿らしいぜ」という事を表わしているのだ、とか、自分なりに色々と脳内で説明を作ってみたけれども、やっぱり…あまり好きじゃない描き方だった。
全部、お芝居なのですよ。
と、舌を出して笑われたような気がした。あれだけは、2度見しても納得がいかない。
というか…劇場で観た時、このシーンあったかなぁ。忘れたくて記憶から消えたのかな。
・「十三人の刺客」公式サイト
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