セールスマン
原題 : ~ فروشنده / Forushande/The salesman ~
作品情報
監督・キャスト
監督: アスガー・ファルハディ
キャスト: シャハブ・ホセイニ、タラネ・アリシュスティ、ミナ・サダティ、ババク・カルミ、ファリド・サッジャディホセイニ、マラル・バニアダム、メーディ・クシュキ、エマッド・エマミ、シリン・アガカシ、モジュタバ・ピルザデー、サーラ・アサアドラヒ
受賞
第69回カンヌ国際映画祭コンペティション部門・男優賞、脚本賞受賞
第89回アカデミー賞外国語映画賞受賞
日本公開日
公開: 2017年06月10日
レビュー
☆☆☆☆
劇場観賞: 2017年6月15日
何という事だろう……。
ファルハディ監督の映画を観ていると、いつもそう思う。「何てことだ」。
この後、一体、どうなるのかと考えると暗澹たる思いでいっぱい。一体、誰が幸せになれるというのか。
あらすじ
テヘランに住む若き夫婦の穏やかな日常が、突然降りかかった事件をきっかけに一変する。夫の留守中、妻が侵入者に襲われてしまったのだ。警察に通報して犯人に罪を償わせたい夫と、事件を表沙汰にしたくない妻の感情はことごとくすれ違い、深い溝が生じ始める…(「セールスマン」(Amazonプライム)より引用)
イランという国の女性
イランという国では女性の地位は未だに低く、多くの自由が制御されている。ヘジャプを被り、髪を見せてはならない。夫以外の男性に触っても触られてもいけない。ファルハディ監督の『別離』でも、そういった性的規制から起こる問題が描かれた。
そんな中で起きた性的暴行事件。
当然、どの国のどんな女性に対してでも最低最悪の犯罪だが、宗教的法律が女性を貶めているこの国で、一体どのように見られるかは想像に難くない。
なぜ犯人を探すのか・探さないのか
そんな国であるから、エマッドの怒りはより深く、ラナの痛みもより深い。
犯人に触れられただけではなく、助けてくれた住人も妻に触れた。
怒りと共に湧き出るのは自尊心の崩壊だろう。
イランの中でもテヘランは割と進んだ都会で、女性の服装も少しは自由らしい。夫婦はアメリカの演劇を上演し、宅配ピザもあり、子どもはスポンジボブが好きだ。
アメリカナイズされた生活と、アメリカには追いつかない頭の固さと。アンバランスな時代が夫婦にも影響を与える。
自分の女に触れた犯人を許せないエマッドは暴力に支配されていく。
ラナは事件の恐怖と同時に、変わって行く夫が恐ろしく、暴走を止めるためならばいっそ犯人などどうでもいい気持に傾いて行く……。
「セールスマンの死」が象徴するもの
劇中でエマッドが上演していた『セールスマンの死』は、アーサー・ミラーの戯曲である。
1951年にはフレデリック・マーチ、1985年にダスティン・ホフマン主演で映像化されている。
「セールスマンの死」あらすじ
60歳を過ぎ、未だ過去の栄光を引きずっているセールスマンと、父の期待を裏切ったまま成長した2人の息子の、父子の断絶と老いの惨めさを描いたドラマ。(「セールスマンの死」Amazonより引用)
なぜ「セールスマンの死」なのか
『セールスマンの死』の時代背景は第二次世界大戦後。戦前好景気でたくさんの仕事を取り、華やかに活躍していた主人公は63になって贔屓の客も死んでしまい、時代に取り残されて引退せざるを得なくなる。
時代の波について行けず過去の栄光にすがる主人公、父に過剰な期待を押し付けられて引きこもり状態の長男、壊れていく家族に悩む妻、アメリカン・ドリームの崩壊。
日本でも他のアジア各国でも同じように時代と共に変化して行く過去の崩壊、社会に分断されていく「老害」「繊細世代」、もちろんイランでも同じように国がいかに人々を暴力で抑え込もうとしてもドリームが流れ込んでくることは止められない。
「力」では抑え込めない時代の流れを演劇という形で表現していたエマッド自身が、犯人への怒りと共に次第に暴力に取り込まれていく皮肉……それがこの映画の象徴として使われている『セールスマンの死』の意味。
アカデミー賞外国語映画賞授賞式のボイコット
ファルハディ監督は、この授賞式をボイコットしている。
トランプ大統領がイスラム圏からの「入国禁止政策」を打ち出したことに対する抗議のためだ。
「世の中を身内と敵に分断するのは恐怖に繋がる」と語った監督。
社会の変化に対する思想の分断を象徴する「セールスマンの死」を皮肉として描き出したこの作品で、アメリカが分断の象徴になるとは何たる皮肉。
「暴力」を否定する結末に持って行くための筋立ては巧妙で、ガックリするラストも含めて、やはりこの監督作品が大好きだわ。とにかく、あざとくなく上手い。
アカデミー賞ボイコットの結末まで、まるで筋立てみたい。
ほんと、あざとくなく上手い(笑)
以下ネタバレ感想
「何てことだ」
と頭を抱えるラストシーン。
そもそもは商売女のせいで起きたこの悲劇。
そして、こんな物件を紹介した友のせいで起きたこの悲劇。
けれども、一番の原因は怒りに支配されたエマッド自身にある。
もっとも、もしも私がエマッドで、事を秘密裏に運びたいと思ったら、同じことをしてしまうかもよ。
「心臓が悪いんだ」と犯人に言われても「ああそうですか」としか思えないし、もう死にそうだと言われても芝居のようにしか見えないし。
気の毒なのは犯人の家族である。……特に奥さんである。
女を買っていて、あきらめ切れずに住居に押しかけ、顔も確かめずにヤっちゃったダンナはある意味自業自得だが、この後、年老いた奥さんはどうなるのだろう。
娘も娘婿も親孝行な様子で、父の死は真実を知らなければこの家族にとっては悲劇でしかない。
暴力が暴力で征される……。
スッキリするか?
突きつけられる。
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