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『ルルドの泉で』奇跡はなぜ「あの人」に起きたのか

ルルドの泉で

原題 : ~ LOURDES ~

作品情報

監督・キャスト

監督: ジェシカ・ハウスナー
出演: シルヴィー・テステュ、レア・セドゥー、ブリュノ・トデスキーニ、エリナ・レーヴェンソン
公開: 2011年12月23日

※2009年 第66回ヴェネチア国際映画祭5部門受賞 国際批評家連盟賞、シグニス賞 ノミネートなど

レビュー

☆☆☆

2013年1月24日。DVD観賞。

ルルドの泉とは奇跡の泉

「ルルドの泉」の名だけは聞いたことがあるという方は多いと思います。

フランスのピレネー山脈のふもとにある町で、聖母マリアが出現し奇跡を起こしたという言い伝えがあり、カトリックの巡礼の地でもあります。

 

しかし、その「巡礼」がどういう物なのかは私も全く知識がなく、そこに行って祈れば宝くじが当たるだろうかなどという不謹慎なイメージをずっと持っていたわけです。(「奇跡」と聞くと、頭がすぐに金銭方面に結び付く賤しい貧乏人です。はい )

 

この映画を見て、ルルドの泉という所に来る人がどんな人たちなのかよく解りました。

不治の病に侵され自由に動けない人たち。長年の病に苦しんでいる人たち。その親。

この映画の主人公・クリスティーヌも病で首から下が麻痺し、手は常に握りこぶしの状態。自分で身体を動かすことは出来ず、車椅子を押してくれる介添え人が必要な女性です。

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そんな人たちの中で、もしも、能天気で不信心な私の上にだけ奇跡が起こり宝くじが当たってしまったら、みんなどういう目で見ることでしょう…。

…という私の話は置いておいて…

ルルドの風景はちょっとした旅行気分

奇跡は、こんな状況の巡礼ツアーグループの中で起こります。

 

ルルドの風景、その中で行われる様々な儀式や巡礼の様子は物珍しく、ちょっと観光旅行しているような気分になれます。

神の奇跡が起こるのだから、当然物語は全体的に宗教的な空気が漂っています。

…が、作品の中で私たちが見るのは神の奇跡よりも、何かに遭遇した時の人の心の動きや行動。

そして、私たちが聞くのは神の言葉ではなくて人の心の声です。

 

能天気な私があの場に居合わせたら、クリスティーヌの身に起きた事を素直に喜んであげられると思うのです。

しかし、もしも自分も同じ状態の病人だったら…子どもが病人で藁をもすがる気持ちでルルドの泉を訪れていたとしたら…。

人間の心は複雑で、神の行いは気まぐれで残酷で…ただのイタズラのようにさえ見える。
そんな、映画です。

 

…と、ここまで書いておいてナンなんですが、だからと言って凄く感銘を受けたとか感動したかというと、あまりそういう事はなく…。

 

たぶん、こういう事いうと、行間を読めとか余韻が解らないのかとかいう話になるかと思うのですが、いや、実際には考える映画も余韻が残る映画も好物なんですけど…。

いくらなんでも投げ捨てすぎじゃね・・・

と、思ってしまったわけです。

ED入って、えええーーーーっ!!って言ったもん。

劇場で見てたら劇場で叫ぶところでしたわ。

これで終わりかよーーー!!ってやつですよ。

 

ま、その辺はネタバレ欄で…。

ここから下ネタバレ観てない方は観てから読んでね


以下ネタバレ感想

年頃の女性なわけだし…実際若い介添えボランティアは「人に尽くすのが幸せ」とか言いながら警備隊に色目使っていたりして青春を謳歌してる。そんな風に人生を楽しめないクリスティーヌの身に奇跡が起きても別にいいじゃないか、と私は思う。

でも、彼女の身に奇跡が起きた後の人々の反応が…。

信心深くないから

病を神から受けた試練として受け止めていなかったから

信心深くない私には、そこら辺はピンと来なかった。

 

同じように車椅子に乗ったり、身内の車椅子を押したりしている人たちの嫉妬のような気持ちは解る。

どうして、あなただけ

それは、思うでしょうよ。私だってきっと思う。

でも、あのお喋りなおばさん2人組なんかは、別にクリスティーヌの身に起きた事を喜んであげてもいいと思うんだけど。

人間ってそういう物なのか。「奇跡」が彼女の身に起きた事自体にもう嫉妬を感じるのか。

「奇跡」とは、結局、人間の本音を引き出す神の悪戯なのだろうか。

 

「奇跡が起きた後の心根の持ち用が大切」だと神父さまは言います。

クリスティーヌは介護士のリーダー・セシルが倒れたことも気に掛けず、介護士たちにそれほど感謝の意も表さず、自分の恋を追いかけることに夢中になりすぎて罰当たり、だから、奇跡はラストで掻き消されたって事なのでしょうか。

だとしたら、もっとクリスティーヌの性格や行動が横柄であってもいいと思うんですよね。

割と控えめな女性に見えたので、私には何の反感も湧きませんでした。

むしろ、今まで不自由で何もできなかったのだから、それくらい許してあげれば…と思ってしまう。

それって、信心がないから、なのかな。

でも、そうやって考えると「奇跡」ってまるで「罰」のようですよね。

 

…で、セシルなんだけど…。

彼女が倒れてクリスティーヌに奇跡が起きた事、セシルがクリスティーナに「立ち上がりなさい」と言っていた事。

それを鑑みて、私はセシルが倒れてクリスティーヌに憑りついた(ホラーじゃないけど)ように考えていたんですよね。セシルの意識不明と「奇跡」には関連があると。

しかし、そこは、何の関わりもなかったらしく…セシルがどうなってしまったのかも最後まで解りません。

眠気に襲われるほど長いお別れパーティの後、突然、また麻痺が起きたように倒れるクリスティーヌ。

あの後、恐らく麻痺は再び彼女の身体を蝕み、また車椅子に縛り付けられる生活に戻る…そんな暗示に感じられる。

「奇跡」は取り消された。あるいは、初めから無かった。
では、奇跡とは何と残酷な物なのか。

周りが祝福しない奇跡は許されない物なのか。

 

いや、それより何より…

 

ずっと、付きまとうように側に居たあのおばさんは一体何だったの!?

 

「余韻」っていうより何より、何も語らずバサッと終わってしまい、謎が多すぎて「ええーーっとなっちゃったわけですよ。

引き延ばしたわけじゃなくて語らないんだ…と、思ったら、何か脱力した。

結果、はぁ?っとなって終わったのでした。

それが私が受けた余韻。

 



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