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『デタッチメント 優しい無関心』ブイのない海

デタッチメント 優しい無関心


原題 : ~ Detachment ~

作品情報

監督・キャスト

監督: トニー・ケイ
出演: エイドリアン・ブロディ、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ルーシー・リュー、ジェームズ・カーン、クリスティーナ・ヘンドリックス

日本公開日

公開: 日本未公開

レビュー

☆☆☆☆

観賞: 2013年6月3日 (DVD観賞)

 

2011年制作、日本では第24回東京国際映画祭にコンペティション参加、劇場未公開。

100分弱の短い時間の中に物静かに不気味な学校崩壊模様が描かれる。

あらすじ

臨時教師として公立高校に赴任してきたヘンリー・バルト。はじめのうちは生徒や他の教師たちと距離を置いていたヘンリーだが、いつしか彼らの人生に深く関わるようになっていく……(映画.comより引用)

生徒と教師の心理学

落ちこぼれ学校の改革要員として臨時採用されたヘンリーは、生徒たちに秩序を守らせる教育に専念する。

 

学校は様々な問題を抱えていた。授業をまともに受けられない生徒、体系や容姿によるイジメ、保護者集会には顔を出さないクセに子どもに注意すると学校に駆け込んで来て教師を怒鳴りまくる親。

教師たちはそんな生徒や保護者への対応に日々ストレスを抱えている。

生徒に対して堂々と接するヘンリーは次第に信頼を得ていくが、生徒個人個人には深入りしないようにしていた。

学校では教師たちのストレスや生徒に関わらないように生き、家では施設に入っている祖父に義務程度に接していたヘンリーに、ある少女と出会い一緒に住むようになってから変化が訪れる。

 
「無関心」なままでは人は救えず、深入りしたら向き合わなくてはならない。
徐々にそれを悟っていくヘンリー。

荒廃して死んでいく「学校」という生き物。
描かれ方は深刻でとても暗い。

 
アメリカの現代の教育現場を描いた作品だというが、日本だって似たような物だ。

毎年毎年、こういう内容のドラマが1年間に何本も作られ、私たちはそれを見て現実の酷さに涙する。けれども、何も改善はされない。

 
「子どもを育てる資格のある大人」を育てる教育。

これが無くなってもうどれだけ長い時間経っているか解らないほどだから。

大人になれない大人が子どもを生み、大人じゃない大人から育てられる。
この無限回廊から逃れられる日が来るとはとても思えない。

 
この作品も課題を与えるだけで、解決は全くない。
綺麗ごとじゃ済まない現状が淡々と描かれる作品だった。

 
個人的には、同じようなテーマなら昨年公開された『ぼくたちのムッシュ・ラザール』の方が好き。

劇中でも語られている通り、行き場のない学校教育の中。「ブイのない海で漂流する人々」を描いた作品である。

 
救いは、主人公が自分自身の在り方に気付く終わり方。
教育現場自体は、ずっと「ブイのない海」のままだ。

 

ここから下ネタバレ観てない方は観てから読んでね

 


以下ネタバレ感想

 

自信を持って教育現場に立つ事が出来ない教師たち。

教務室は動物園だ。薬を飲まなきゃ半数の親をぶち殺し、生徒たちを窓から投げ捨てている。

そういうあきらめの中で、それでも学校に居続ける教師たち。

人に深入りしないように生きてきたヘンリーが売春を行っていたエリカを拾ってしまったのは、やはり教師だからなのだろう。

エリカはきちんとヘンリーを過去に向き合わさせてくれ、安らぎを与えてくれた。
しかし、ヘンリーはそんなエリカさえも自分の壁の外に追い出そうとする。

深入りされない事に絶望して目の前で死んでいった女生徒。
彼女が描いた絵は「顔のない男と空っぽの教室」だった。

 
彼女が死んで、初めて自分はただそこに居ただけで、形はあっても中身はない物だったのだとヘンリーは気づく。

苦しんでいた生徒は死を選び、空っぽだったヘンリーは救う事も出来なかった。

だから、ラストにエリカを施設に迎えに行くヘンリーにはホッとする。

次にヘンリーが教室に立った時は、きっと誰かを救ってくれる。
そういう出発点にラストでやっと立つ。

 
ストーリーは、たぶん、ここからが始まりなのだと思う。


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