それでも夜は明ける~ 12 YEARS A SLAVE ~
監督: スティーヴ・マックィーン
出演: キウェテル・イジョフォー、マイケル・ファスベンダー、ベネディクト・カンバーバッチ、ポール・ダノ、ギャレット・ディラハント、ポール・ジアマッティ、スクート・マクネイリー、ルピタ・ニョンゴ、アデペロ・オデュイエ、サラ・ポールソン、ブラッド・ピット、マイケル・ケネス・ウィリアムズ、アルフレ・ウッダード、クリス・チョーク、タラン・キラム、ビル・キャンプ
公開: 2014年3月7日
2014年3月10日。劇場観賞。
第86回アカデミー賞 作品賞、助演女優賞他計3部門受賞。
ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞など作品賞他受賞。
珍しく原題よりもセンスいい日本語タイトル…。
原題は「12年奴隷」…ネタバレじゃないか。
舞台は1841年のアメリカ。
主人公ソロモン・ノーサップは、北部ニューヨークで暮らす自由黒人である。
南北戦争が1861年だから、それ以前の話になる。時代的には『風と共に去りぬ』の頃。
数多くの映画で黒人奴隷について描かれているので、この時代の黒人といったら「奴隷」のイメージが強いかも知れないが、白人の所有物では無く1人の人間として自由に職業を持ち家族を持つ黒人もいた。
北部では高い地位の職業に就く黒人も数多くいたのである。
この主人公も家を持ち、家族を持ち、好きな職を選べる立場の自由な1人の人間であった。
多くのサイトなどで書かれている範囲はネタバレではないと思うので書いてしまうと…
この映画は、そんな主人公がある日突然、自由黒人から奴隷に身を落とさなければならなくなり、自由のない生活を12年間も(これも原題がネタバレしているんだから書いてもいいよね…)強いられることになる物語を描いている。
原作はソロモン・ノーサップ自身による手記。史実ベースの作品だ。
奴隷として南部に送られた主人公の生活が、見ていてとにかく辛い。まず名前を奪われ、やりたくもない仕事をやらされ、ご主人さまには絶対服従。『千と千尋の物語』リアル残酷バージョンである。
服従しなかった場合は虐待を受け続ける。その描写がもの凄くリアルで痛い。もう、ずっと目を覆いたくなるような残虐シーンが続くのだ。それも淡々と。
そんな残虐描写に覆われている割には人死には少ない。それが同じ虐待でもナチスによるホロコーストものとは違うところ。
ナチスにとってのユダヤ人も人ではなく「物」のようだが、奴隷は「商品」である。高い金を出して買った物なので簡単に死なせたりはできない。死なぬように生かすのである。
白人たちにとってノーサップはバイオリンを弾ける高い商品なので重宝される。しかし「人」ではない。大根が欲しい人に大根を売る。需要と供給。この作品の黒人はそんな立場である。(だから、ベネディクト・カンバーバッチさんを責めてはいけない )
しかし、アメリカの黒歴史である人種差別を舞台に描いたこの作品の本当の恐ろしさは「差別」ではなく、ある日突然「尊厳のある1人の人間として認められなくなる事」にある。
ノーサップ自身だって、こんな事にならなければ北部で悠々と幸せに暮らしていたわけで、これは誰にでも起こり得る「事件」を描いているのである。
もちろん、時代が時代で国が国だから起きたことではあるけれども、現代だって何処かの国では人身売買は続いているし、日本だって…突然拉致されて何年も自分ではない生活をしていた人はいるわけで。
自由に住むところも家族も職業も選べるこの身を感謝して生きなければならないなぁと…自由と尊厳のある生活に感謝する…そんな作品。
実は、1本の映画として感情を持って行かれる事はなく、感動というものもなく…自分的にはそんなに心に残る作品にはならなかった気がする。虐待描写は痛々しく脳裏に張り付きそうだけど。
「アカデミー賞を取った」という前知識も素直に作品を見る事を邪魔したかも。つまり…期待しすぎた。
主人公も特に大きく脱走劇を計る事もなく…自分はこいつらとは違うと思い続けながらも従っている演技を続けているので…丸っきり善人ではないのである。
暴力には理想も真実も勝てないのだな…という悲しさが残る。
人を力でねじ伏せる厭らしさをタップリ思い知らされる130分。
ここから下ネタバレ↓観てない方は観てから読んでね
何が一番辛かったって、あの首つりの長回しシーン…。もう、自分の息が止まるかと思った。
首つりされている横を黒人奴隷たちが平気で通り過ぎていく。近くで子どもたちが遊び始める。奥様はテラスからチラっと見る。平静な顔。
この長い長い時間が淡々としすぎてホラーよりも恐い。
人間、長く暴力に屈する時間を過ごしていると感情も無くなってくるのか、一緒に働く奴隷の1人が亡くなった時のノーサップが印象的。
彼は、墓穴に死骸を入れると、動物でも埋めるかのようにすぐに土をかけようとする。
彼自身も奴隷たちを人間だと思っていなかったのである。このシーンが印象的。
みんなで黒人霊歌を歌う。ノーサップは口を開かない。長く長く歌が流れた後、ようやく一緒に歌い始めるのだ。
この時の表情は…今まで受け入れて来なかった「黒人奴隷」に自分もなったのだと、受け入れ難きを受け入れた表情。
白人と一緒に自由に北部で生きていた時、ノーサップは白人だった。この歌を歌う事で黒人になったのである。
逃げようとしてはあきらめ、手紙を出そうとしては裏切られ、現実を受け止め、やっと現れた救世主…この映画の制作に関わっているブラッド・ピットである。
なんか…この人だけが異次元から来た妖精みたいで、ちょっと違和感感じてしまった。 そこも、あまりグッと来なかった理由…。
時間の経過がよく解らないので12年も経っているとは子どもたちの成長っぷりを見るまで解らなかった。
やっと再会できた家族に「すまなかった」を繰り返してしまうのは…奴隷が染みついてしまったからなんだろうか。謝る必要ないと奥さんに言われていたけれども、つい謝ってしまうのでしょうね。
暴力に屈して、ただ我慢してきた12年間。
この人がこんな制度は無くさなければならないと自伝を書いた。それが神のご意思だったのかも知れない。
こんな事が無ければ同じ黒人が奴隷になっている事をおかしいと思えなかったんだろうから。
無関心である事が人の尊厳を奪う。
それは、いつの時代でも。
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