紙の月
監督: 吉田大八
キャスト: 宮沢りえ、池松壮亮、田辺誠一、近藤芳正、石橋蓮司、小林聡美、大島優子、平祐奈、伊勢志摩、佐々木勝彦、天光眞弓、中原ひとみ
公開: 2014年11月15日
2014年11月26日。劇場観賞
疾走する主人公と、包み込むように追い立てるように流れる「讃美歌・荒野の果てに」が頭から離れない。
音楽と共に名シーンを作る…
吉田大八監督。痛々しい人間を憐れむよりも愛おしむ視線。それは『桐島、部活やめるってよ』と同じ。
あらすじ
銀行のパートタイマーから契約社員になったばかりの梅澤梨花は、クセのある顧客・平林の家で孫の光太と出会い惹かれあっていく。
ふとした切っ掛けで顧客から預かった金に手を付けてしまった梨花は、以降タガが外れたように転がり落ちていく。
シッカリしていて地味で控えめで信用されていて…誰にも疑われない人物。
モデルとなった事件があるのかどうかは解らない。マスコミを騒がせた伊藤素子の事件などが思い浮かぶが、特に限定では無くその手の実話全般をモチーフとしているのだろう。
原作は『八日目の蝉』でも「逃げる女」を描いた角田光代氏。
横領してどうなるか、とか、上手く逃げられるのかなどを描いたサスペンスではない。物語はただひたすらに痛い女を追っていく。
「誰が」「何が」悪いという事ではなく、全て自らの選択である。「女の業」というよりも「人間の業」だと思った。
信じられないほど地味で普通の主婦を演じる宮沢りえが、光太と触れ合う事によって少女のように生き生きと美しくなっていく。悪女的な美しさではなく、本当に少女のように可愛いのだ。
堕ちていくシーンは悲壮感がなく、実に堂々としていてファンタジックで…不気味に思えるほどのその違和感にまた引きつけられる。
クライマックスの「あの」シーンでは何故か自然と泣けてしまった。「全部ウソなんだから…」。
池松壮亮の少年のような透明感は中年女を人生から堕とすのに十分過ぎた。この人に寄られたらフラフラ行くでしょう。それとは対照的な祖父を演じた石橋蓮司の得体のしれない厭らしさも素晴らしい。
そして、何よりも小林聡美なのだった。
この人の凛とした存在感が「人間の正しさ」を登場人物にも観客にも見せつける。この人が居てこその消える月である。
原作は未読、原田知世主演のNHKドラマ版も未見だけれども、たぶん原作とはずいぶん違うんだろうな…と想像する。リアルとファンタジーの間を行き来する…主人公のその夢のような世界が崩れる予感でいっぱいになりながら見る。
私には、この女の気持ちが解らなくはないよ。
本当に欲しいのは、きっと男でも金でもないのだ。
この主人公の気持ちが理解できないという人は、きっととても幸せな人だ。そういう人たちで満たされるのが正しい世界なのである。
あら野の果てに 夕日は落ちて
たえなる調べ あめより響く
グローーーー・ーーーー・------・リア イン・エクセルシス・デオ
Gloria, in excelsis Deo!
以下ネタバレ感想
大学生との恋に堕ちるのが早いとか…そういう事はどうでもいいのである。
金に手を付けるタイミング。不倫の恋に落ちていくタイミング。
はじけたのだ。
まさにタガが外れる瞬間。
作中で、光太は一度も自分から金を無心していない。
これを受け取ったら「何か」が変わっちゃうよ?
光太にも堕ちていく不安はあった。
何も言われないのに金を出してやって物を買ってやってホテルを取ってやってマンションまで…。ダメンズ依存の女は自分自身もダメなのだと確信した。
梨花にとって光太は、父の財布から金を抜いてまで寄付金を送ってやっていた少年と同じなのである。
自分の力で「何か」を救う事を喜びとし、役に立たないと思われることに不安を感じる「役に立ちたい症候群」。それは、自分の存在が消えることを恐れる寂しさの表れ。
初めて徹夜した「あの日」。明け方の空に浮かぶ白い薄い三日月が指で消えた。
少女のように顔を輝かせて笑う梨花。
あの表情が憐れなほど可愛くて泣けた。
平林は梨花の「溜めた利息で楽しむといい」という言葉で契約をした。
他の顧客も梨花の言葉に人生の計画を立てる意欲を持たされたから慕っていたのだ。
寄付金を送ってあげていた少年は「嘘」ではなく、ちゃんと現実を生きていた。
金は「紙の月」ではなく、人をきちんと生かしている。
それを茫然と確認して梨花は姿を消す。
興味深いのは……
一緒に観た友達がいうには、NHKドラマ版はこの映画の後にもう1話あって、それが最終回なのらしい。
一体どういう風に閉められているのか…そちらも機会があったら見てみたいな。
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