バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
原題 : ~ ~BIRDMAN OR(THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE) ~
作品情報
監督・キャスト
監督: アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
キャスト: マイケル・キートン、ザック・ガリフィアナキス、エドワード・ノートン、アンドレア・ライズブロー、エイミー・ライアン、エマ・ストーン、ナオミ・ワッツ、リンゼイ・ダンカン、メリット・ウェヴァージェ、レミー・シャモス、ビル・キャンプ、ダミアン・ヤング
公開: 2015年4月10日
レビュー
☆☆☆☆
劇場観賞: 2015年4月11日
監督いわく「ブラック・コメディ」…らしい。
確かに、バットマン経験者のマイケル・キートンがバードマンだったり、エドワード・ノートンもナオミ・ワッツもそれぞれの経歴を引いた配役。タイトルだって「Birdman」だし!字面がほとんど「Batman」…キャスティングもタイトルからしてジョークか!って言えばその通り。
けれども、個人的にはそんなに笑えなかったよ。笑っていいと思えなかった。だって、必死じゃないか。この人の人生。
あらすじ
かつてヒーロー映画『バードマン』で一世を風靡(ふうび)した俳優リーガン・トムソン(マイケル・キートン)は、落ちぶれた今、自分が脚色を手掛けた舞台「愛について語るときに我々の語ること」に再起を懸けていた。しかし、降板した俳優の代役としてやって来たマイク・シャイナー(エドワード・ノートン)の才能がリーガンを追い込む。さらに娘サム(エマ・ストーン)との不仲に苦しみ、リーガンは舞台の役柄に自分自身を投影し始め……。
「シネマトゥデイ」より引用
コメディとは思えず
これを「笑え」ということは、イニャリトゥ監督の『Babel』も笑えということかも知れない…と思えてくる。
ただ普通に生きている人たちが何かのいたずらのように繋がりあって負の方向にズレあって大変な混乱を各所に引き起こす鬱々とした『バベル』も神様から見ればきっと大いに楽しいコメディだ。
この作品の主役、リーガン・トムソンのやっている事も外から見たら滑稽すぎる。言っている事もやっている事も滑稽だからおかしい。おかしいけれども物悲しいのである。大半の人の人生なんて外から見たらきっとそうだ。
「長回しワンカット風の映像」とか…
この作品の評をネットで見ると「長回しワンカット風の映像が芸術的だ」「ドラムサウンドオンリーのBGMが素晴らしい」そんな技術的なことばかり並んでいてお腹いっぱいになってくる。(そういう技術的な解説は公式で監督自身がたくさん語っていらっしゃいます)
昨日見てきて、家に帰ってネットでザーっと評価を眺めて思った。ああ、ホント…劇中の「あの批評家」…。この映画がオスカーを取らなければこういう評になっているだろうか。そして「ネット」。その影響が作品も役者も生かす、殺す。
ああ、そうか。もしかしたらここまでが全てこの作品なのだろうか。見てきて1日経って、私はまだ「Truth or Dare」をやっているのだろうか。だとしたら、凄い。本当に芸術以上の奇跡だよ!
その、世の中絶賛中の芸術「長回しワンカット風のカメラワーク」は、永遠に抜け出ることができないリーガン・トムソンの迷路だ。
誰だってここに居たい。存在を示したい。もう一度咲き誇りたい。それは20代でも60代でもみんな同じ。「長い人類の歴史の上では個人の存在や欲望なんてちっぽけな物」だと解っていても人は足掻く。
「もう一度花咲かせたい」と足掻き混乱し試行錯誤する。この映画は中年以降の人ほど身につまされて理解できる作品だと思った。
劇中にはハリウッドの有名作品や有名俳優の名前がバンバン実名で出てきて、そういうネタ的部分で笑えるというのはある。セリフの応酬もクスっとするところは多い。
けれども「コメディ」だというならば、大半はこのウラぶれていながら自分の存在を主張し続けたいおじさんを笑う作品なのである。道化と同じだ。
道化が消える先は誰にも見せてはならない。彼らが演じるのは喜劇だからだ。最後まで楽しませてナンボ。
…だから、あのラストシーン。
決してシャレだけで配役されたわけではないキャストの演技は本当に素晴らしい。その表情の1つ1つにハッとする。どこを切り取っても完璧に絵になるし、たぶん見返せば見返すほど発見がある作品。
ここから下ネタバレ↓観てない方は観てから読んでね
ここから先はネタバレ感想です
アカデミー会員は映像的技術以上に、この作品の「芸術に対する評価」部分にヤラれたんじゃって気がしている。
タビサという有名批評家の物すごい上から目線の内容無き評価。これが人間の価値をそのまま決めるのね。作品を見ていなくても評は書ける。理解していなくても書ける。ネットで流せばそれだけで1人の人間が社会的に抹殺される。
そういう部分をリアルに受け止めた。ちょっとゾッとした。
個人的には、そんなにガッツリと感情持っていかれる映画ではなかったんだ。それでも見てきていっぱい考えて1日経って、まだ考えている。
あのラストシーンは、昨日は「投身自殺」が描かれていると思っていた。サムは空へはばたく父の幻影を見ているのだと。
けれども、それにしてはあの笑顔は清々しすぎるのね。
・リーガンはすでに最後の舞台で銃で死んでしまっていて、病室の描写が丸々虚構。
・リーガンは最後の舞台にすら出ていない。その前にあのビルから飛び降りている。
どっちにしろ、あまり光射す結末ではないな…。
では、やっぱり。
能力は全て真実で、今はバードマンに戻って空を自由に飛んでいる…そう解釈しておくのが良いのかも。だって、コメディなのだから。
・「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」公式サイト
|
・バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)@映画生活トラックバック
・象のロケット
comment
Qさん
ラストのあのサムの表情があるから光射すラストなのだと解釈できるんですよね。
正直、リーガンのその後はどうなっているのか自分にはよく解りませんが、サムにとってはバードマンというヒーローとして返り咲いているのだと。
サムの現在は父親の存在に支えられて輝いているのだと解釈しています。
見ている最中より見終わった瞬間からじわじわきてます。
もがいてもがいて飛んでしまった男の話しだと思ってたので 最後の娘の表情にとまどってしまって・・・
くうさん、皆さんのコメになるほどなーです。
息子も見たのですが 若い目玉でこの世界を見たいというセリフが印象に残ったようです。
はむてるさん
実は私、結構毎日のようにこの映画のラストについて色々読んだり考えたりしているのです。
で、ラストに関する解釈が前向きで軽い方もそれが当然だと思っているし、悲劇的解釈の方もそれが当然だと思っていることに驚いている次第です。
私の思考はナーバスなのかも知れませんね~^^;
初めまして。
僕はリーガンは最後の舞台に出て、銃で自殺したと解釈します。空を飛ぶシーンは得意の妄想だと思います。タクシードライバーが運賃を請求していましたから。
問題のラストシーンはまるまる虚構だろうなと思いながら鑑賞していました。サムの表情は幻覚から来るものではなく、リーガンが観たかった娘の表情。甲斐甲斐しく花を持って病室に来たのも、胸に頬を寄せ、それを抱き寄せるシーンも、バードマンとの決別も、あのクソな批評家から得た讃辞も、すべて生前のリーガンが臨んだ景色。
そう思い、何の違和感もなく映画館をあとにしたのですが、あのラストシーンに様々な解釈がされていて正直驚きました。
BROOKさん
病室シーンは虚構だと私も思いました。女批評家の舞台評も内容が変だったし。あの人はあんな事を書く人じゃない気がしますね^^;
ラストはいろいろと解釈の出来る感じでしたね。
どれが正しいのかは、観客次第といった感じでしょうか。
私は病室シーンが全て虚構のように思ってしまって…。
とりあえず、ブロードウェイの裏側で語られる他の俳優たちのお話は思わずクスッとなってしまいました♪