アマデウス
原題 : ~ Amadeus ~
作品情報
監督・キャスト
監督: ミロス・フォアマン
キャスト: F・マーリー・エイブラハム、トム・ハルス、エリザベス・ベリッジ、ジェフリー・ジョーンズ、リチャード・フランク、チャールズ・ケイ、パトリック・ハインズ、ロデリック・クック、ジョナサン・ムーア、ロイ・ドートリス、サイモン・キャロウ、ニコラス・ケブロス、クリスティン・エバソール、バーバラ・ブリン、シンシア・ニクソン、ヴィンセント・スキャヴェリ、ケニー・ベイカー
日本公開日
公開: 1985年2月16日
アカデミー賞受賞
第57回アカデミー賞・作品賞、監督賞、主演男優賞、美術賞、衣装デザイン賞など8部門受賞
レビュー
☆☆☆☆☆☆
公開当時、劇場で3度以上リピートしている。あまりの完璧さに感動してまた感動して…。個人的には今までの人生で観た映画の中で一番の傑作だと思ってる。
正月だから何か音楽が聞けるものを見ようと思い、久しぶりにDVDを引っ張り出した。
古い映画だから今から見たらやはり演出や演技がちょっとは古臭いんだろうな…と思っていたが、全く!えっ…1985年って、もう30年も前だったの?これ…。
(いや、でも、そんなに前に観た気がしないので…じゃあ私が劇場で観たのは2002年のディレクターズ・カット版だったのかも知れない。それでももう10年以上も前よね…)
音楽も。細かく再現された衣装や調度も。茶色掛かったゴールドの光の中に映えるドレスやアクセサリーの配色が美しい映像、楽曲のまま盛り上がりと緊張を繰り返す演出、豪華で繊細で恐ろしくて悲しいストーリー、役者さんの素晴らしい演技…。何もかも完璧!
劇中でサリエリが讃えるモーツァルトの音楽のごとく「至上の美」である。
約3時間にも及ぶ上映時間、全く長いと感じずに引き込まれ続けて見た。
アマデウス・モーツァルトの伝記であり、アントニオ・サリエリの愛の手記
ストーリーは小学生でもほぼ知っていると思われるオーストリアの作曲家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの伝記を当時の皇帝ヨーゼフ2世に仕えていた宮廷作曲家、アントニオ・サリエリの視点から見た物。
老齢となったサリエリが入院先の精神病棟で神父に過去の話を語るという形式で進行される。
丸っと史実…というワケでは無く多分に新解釈が入っているわけだが、史実の人の伝記ベースである事には違いないので、この記事にネタバレ欄は特に設けません。
あらすじ(ほぼネタバレです)
あらすじ
1823年11月、凍てつくウィーンの街で1人の老人が自殺をはかった。
「許してくれモーツァルト、おまえを殺したのは私だ」、老人は浮わ言を吐きながら精神病院に運ばれた。
数週間後、元気になった老人は神父フォーグラー(リチャード・フランク)に、意外な告白をはじめた。--老人の名はアントニオ・サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)。かつてはオーストリア皇帝ヨゼフ二世(ジェフリー・ジョーンズ)に仕えた作曲家だった。
神が与え給うた音楽の才に深く感謝し、音楽を通じて神の下僕を任じていた彼だが、神童としてその名がヨーロッパ中に轟いていたウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(トム・ハルス)が彼の前に出現したときその運命が狂い出した。作曲の才能は比類なかったが女たらしのモーツァルトが、サリエリが思いよせるオベラ歌手カテリナ・カヴァリエリ(クリスティン・エバソール)に手を出したことから、彼の凄まじい憎悪は神に向けられたのだ。
皇帝が姪の音楽教師としてモーツァルトに白羽の矢を立てようとした時、選考の権限を持っていたサリエリはこれに反対した。そんな彼の許へ、モーツァルトの新妻コンスタンツェ(エリザベス・ベリッジ)が、夫を音楽教師に推薦してもらうべく、音譜を携えて訪れた。コンスタンツェは苦しい家計を支えるために、何としても音楽教師の仕事が欲しかったのだ。
フルートとハープの協奏曲、2台のピアノのための協奏曲…。 譜面の中身は訂正・加筆の跡がない素晴らしい作品ばかりだった。再びショックに打ちのめされたサリエリは神との永遠の訣別を決意した。神はモーツァルトの方を下僕に選んだのだ。
ある夜の、仮面舞踏会。ザルツブルグから訪れた父レオポルド(ロイ・ドートリス)、コンスタンツェと共に陽気にはしゃぎ回るモーツァルトが、サリエリの神経を逆撫でする。
天才への嫉妬と復讐心に燃えるサリエリは、若きメイドをスパイとしてモーツァルトの家にさし向けた。そして復讐のときがやってきた。
(ぴあ映画生活より引用)
私的解説
なぜ神はかくも下劣な男を選んだのか…。
サリエリは苦悩する。
サリエリは自分に音楽をくだされた神を崇拝していた。与えられたものに対する恩は音楽で返そうと純潔を守り音楽で神に尽くしていたつもりだった。
けれども、神が選んだのは無礼で下品で幼稚で厭らしくて…女にも不自由なく、サリエリの想い人をも自由にする…信仰心の欠片もなく自信に溢れるモーツァルト。
サリエリは精神的に追い詰められ、こんなにも愛しているのに想いを受け取ってくれない神に対する復讐心が神の申し子モーツァルトに向けられる。
その鬼気迫る様相で人間の醜い嫉妬心を表すF・マーリー・エイブラハムの演技の素晴らしさ。
対するモーツアルトは天真爛漫なお馬鹿である。
無邪気で自分のやりたい事をし、言いたい事を言い、才能を隠すことなく撒き散らす。
女の尻を追っかけまわしていたと思ったら、仕事に入った途端に真剣な表情で鬼才っぷりを見せる。これはモテるはずだわ…女にとってはギャップ萌え。
そして、男にとっては嫉妬の対象になっても仕方ない。
サリエリは宮廷のイタリア音楽派のまとめ役となってモーツァルトから仕事を奪う。幸いなことにモーツァルトは金に無頓着、妻のコンスタンツェも贅沢志向。仕事を奪えばモーツァルトの生活が荒れていくのは明らかだった。
サリエリのモーツァルト毒殺説というのが実際にあるわけだが、この作品ではそこまでする必要もなくモーツァルトは酒と薬に身体を蝕まれていく。そこでサリエリは「父の亡霊」という精神的トドメを刺すのである。
ステージパパに連れまわされて育ったファザコン・モーツァルトにとって父はそれこそ神のような存在だった。父を失くしたモーツァルトが父の亡霊に怯えている事を『ドン・ジョヴァンニ』の舞台を見たことで理解したサリエリ。
このオペラを見てそれを瞬時に察する事が出来るサリエリは、もうそれだけモーツァルトの虜なワケだが…好きよ好きよの裏返しで虐めの材料に使ってしまうわけ…だって、彼はサリエリを裏切った神の申し子なのだから。
亡き父が仮装していた黒マントと仮面に身を包み、高い金を払って「レクイエム」を依頼する。計画は当たり、毒など盛らなくてもモーツァルトは勝手に自滅した。
けれども、ここでサリエリにとって想定外のことが起こる。
倒れたモーツァルトを家に運んでやったことによって、サリエリは「レクイエム」の作曲を手伝うという恩恵に預る事ができるのだ。
モーツァルトが頭の中で描く音楽を譜面に形にしていく。2人の作業で曲が出来ていく至福の時間。
モーツァルトが頭に描く、口ずさむ、サリエリが譜面に起こす、鳴り響くレクイエム…。
サリエリがずっと立ち合いたかっただろう「至上の曲」が「神の声」が出来上がっていく瞬間を味わう恍惚感。
復讐も憎しみも忘れて夢中になって至福を味わったあの時間は、サリエリ自身がもたらせたモーツァルトの死によって永遠に封印されてしまった。
そして、モーツァルトの死後、サリエリは知る事になる。
神はモーツァルトに音楽を与えた。
神はサリエリにそれを理解する力のみを与えた。
モーツァルトの死後も彼の音楽は愛され、この世に残り語り続けられたが、サリエリ自身の音楽も存在も忘れ去られた。
何という残酷な仕打ち。
絶望したサリエリは精神を病み、自分自身が「凡庸なる民」の神である事に納得して生きていく。後味は悪いが彼は今、幸せなのである。
後悔と絶望から逃れるために精神を病んでしまった事…それが神が彼に与えた憐みなのだから。
さて…「史実と違う説」も吹き荒れそうな内容ではあるが、あくまでもフィクションです。そもそも教育用の伝記ではないし。
描かれているのは人間の名誉や才能に対する欲や嫉妬心。どんなに才能豊かで恵まれているように見える人間にも苦悩や裏の顔があるという事。
サリエリと2人でレクイエムを描きながら、アマデウスはニッコリと笑うのである。
「あなたを誤解していた。自分が恥ずかしい。嫌われていると思っていた。」
まさにそれが天使の笑顔であり…サリエリは複雑な表情でこれを受け止める。
この時、彼は「勝った」とは思わなかっただろう。
この男がただの人間であるという事を察しただろう。
結局、神の御手の上で踊らされていたのはサリエリだけではなかった。
この人たちの人生そのものが、神が作った音楽に乗って演じられる壮大なオペラなんだ。
それを余す所なく見せつけられた観客である「凡庸な人」神父さん。
この人の今後のメンタルも心配である。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの遺体はウィーン郊外の共同墓穴に埋葬され、度々移し替えられている内に何処に行ったか解らなくなってしまった。
現在「モーツァルトのものとされる頭蓋骨」が残されているが、それが本物かどうかも定かではないらしい。
それでも彼の作品は2015年の現在でも人々に愛され、ウィーンから遠く離れた日本でも彼の名を知らない者はいない。
その名曲の数々を楽しめ、彼の音楽を一番愛し憎んでいた人の語りによって彼を知る…この映画も後世に残る名作である。
comment