あなたを抱きしめる日まで ~ PHILOMENA ~
監督: スティーブン・フリアーズ
キャスト: ジュディ・デンチ、スティーヴ・クーガン、ソフィー・ケネディ・クラーク、アンナ・マックスウェル・マーティン、ルース・マッケイブ、バーバラ・ジェフォード、ケイト・フリートウッド、ピーター・ハーマン、メア・ウィニンガム、ミシェル・フェアリー
公開: 2014年3月15日
2014年11月11日。DVD観賞
前情報を何も知らずに見た。
これが「真実の物語」だと言われても…田舎のおばあさんと偏屈な中年男の人探しロードムービーなんて、いくらでも「実話」であるでしょ…。
最初はそう思っていた。
その奥底にある「真実」が見えるまでは。
起きた事件も痛々しいし許せない話だが、そんな上辺だけの悲劇を描いた物ではない。
1つの真実を50年も閉じこめ続けたものとは…。
<あらすじ>
1952年。アイルランドでフィロミナという19歳の女性が未婚の母となった。両親に家を出されて修道院に入れられたフィロミナは、そこで息子とも引き離される。
それから50年後。イギリスでフィロミナと暮らす娘は初めて母からその真実を聞かされ、元ジャーナリストのマーティンに修道院の真実を暴く話を持ちかける。
そして、フィロミナはマーティンの助けを借りて息子を探す旅に出ることになった。
50歳になる息子を探す旅。
物語の舞台は1950年代。
当時のアイルランドではカトリックの力が大きく、婚外交渉した女性は強制的に修道院に放り込まれたという。実際は、修道院という名の精神病院であり強制労働所だった。
洗濯女として働かせれば修道院は無料で労働力を得ることができ、子どもを売れば金を得ることができる。
この悲劇に巻き込まれ、今なお6万人を超える女性がわが子と生き別れたままだという。
実際には未婚の娘に子どもが出来ても家族で庇った家だってあっただろう。しかしフェロミナの親は違った。カトリックの熱心な信者だったのか…神に背く大罪を犯した娘は修道院に入れられた。
息子が私を思ってくれたか知りたい。私は毎日息子を思っている。
たった1枚の写真を胸に抱くフィロミナが痛々しい。
けれども、この映画は決して悲劇にドップリ浸かってお涙ちょうだいに走る作りにはなっていない。
ダイエットの本とロマンス本が愛読書のフィロミナはよく喋る可愛らしいおばあちゃん。
旅を共にすることになったマーティンは偏屈で皮肉屋の中年男。
2人の旅の会話はコミカルで微笑ましい。
アイルランド、ロスクレアからワシントン。ロードムービーとして映し出される風景も堪能できる。
笑ってしまうような噛み合わないセリフのやり取り、次第に仕事ではなく真実を追い始めるマーティンの変化、今でも複雑な心から抜け出せないフィロミナの迷い、そしてドラマティックな結末へ。
大げさでは無く淡々と描かれる自然な物語の流れにため息が出るほど。
史実ベースの創作ものとしてのお手本のように素晴らしい構成の作品。
そして、この映画は決して「カトリックの信仰を批判している皮肉な映画」ではないのである。
例えば、テロ活動で有名なかの宗教も同じものを信仰していても国によって全く人間性が違う。
信仰も思想も、国や組織に利用される。悪いのは「人」であって宗教ではない。
聖典に書かれている曖昧な文をネガティブに捉え、信仰する人を洗脳する。「神の言葉」はいつしか「権力者」の言葉になる。
この作品を見終わって泣きながら一番に感じたのは、子どもと一緒に暮らせる幸せ。それをしみじみ実感した。
ウチの息子はもう「子ども」という年齢ではないけれども、それでも私は息子の寝顔を可愛いと思う。たぶん息子が50歳になっても同じように思うだろう。
その時間を奪われ、手探りの思い出の中でしか息子の存在を実感できない母親がいる。
そんな悲しい母親を作り出した悲劇を喜ぶ神などいるだろうか。
宗教がそんな存在であってはならない。
自己の感情や都合で解釈した思想で人を縛り付けてはならない。
以下ネタバレ感想
見つけ出した息子は、1995年8月15日。すでに亡くなっていた。
息子が私を思ったか永遠に解らない。
旅の結末は失意に終わるのだと思った。
「レーガン政権共和党顧問・ブッシュ大統領法律顧問」という地位にまでなっていた立派な息子。しかし、結婚もせず子どももいなかった。ゲイだったのである。まるでカトリックに反発するような愛の形。
息子は自分を憎んでいたのだと思い込むフィロミナに訪れるどんでん返し。
相棒のマーティン自身がかつてホワイトハウスで彼に会っていたとはね。
旅の終わりはワシントンではなくロスクレアだった。
出発点が終点。
修道院は子どもを売っていた事を知られないために当時の記録を全部燃やしていた。フィロミナの息子の希望でアイルランドに骨を埋めたのに、その事も隠していた。
その根源にあるのが嫉妬!
私はずっと信仰のために貞節を守って来たのに性を楽しんだ娘たちなんか罰が当たればいい!
そう叫んだ老シスターの顔の醜悪なこと…。
フィロミナはいう。
私は貴女を赦します。
この言葉には大きな含みがある。
シスターの言葉は神の言葉だと信じて生きてきた老女が。悪いのは自分だと信じ込まされて生きてきた老女が「貴女を赦す」と言ったのは、つまり「間違っているのは貴女の方だった」と真実を突きつけたということ。
教会に寄った時に問おうとしていたのは…「本当に間違っていたのは自分の方なのか」ということだったのだろう。けれどもフィロミナは自分で気づいたのだ。
神が居ないのではなく、自分は騙されていたのだと。50年も。
息子を探したくても探せなかった50年、ずっと自分が悪いから仕方なかったのだと思い込まされていたと。
もう少し早く気づいていれば、生きている息子に会えたんだよね…。
なぜ修道院を訴えないのかというマーティンに「赦しには大きな苦しみが伴うのよ」と語った時のフィロミナの表情が神々しいほどだった。
息子は母の住む国へ。ロスクレアに帰って来ていた。
親子の絆はあったのだ。
小さな墓の前でフィロミナは微笑んでいう。
私が見つけると知っていたのね。
理不尽な話だが後味は決して悪くなかった。
ほろ苦いけれどもまずくはない。
ラストまで微笑ましいマーティンとのやり取りを見ながら、笑っちゃうけれども何か刺さる…。
秀作。
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