危険なプロット~ DANS LA MAISON ~
監督: フランソワ・オゾン
出演: ファブリス・ルキーニ、エルンスト・ウンハウワー、クリスティン・スコット・トーマス、エマニュエル・セニエ、ドゥニ・メノーシュ、バスティアン・ウゲット、ジャン=フランソワ・バルメール、ヨランド・モロー、カトリーヌ・ダヴェニェール
公開: 2013年10月19日
2014年6月2日。DVD観賞。
ジョン・レノンの暗殺者は「ライ麦畑」を持っていた。 文学は何も教えない。
ジェルマンの妻の言葉。
文学の才能のある者に文学を指導する。
「指導」がエスカレートして、「読者」になっていく。
かつて作家志望だったジェルマンは、高校で国語教師をしている。
生徒に気を使った画一的な教育、平凡で考えの浅い生徒たち。
そんな中、ジェルマンは1人の教え子の作文に目を向ける。
自分に挑戦するように作文を提出し続けるクロード・ガルシアの非凡な才能に魅了され、ジェルマンは個人指導を始める。
「続く…」
クロードの作文の文末に必ず付くこの言葉。
「つづく」「つづく」「つづく」
ある一家に固執するクロードの作文がフィクションなのかノンフィクションなのか見ている方も混乱してくる。
初めは「作文」としてボーっとクロードのモノローグと共に流れる映像を見ているこっちも、だんだんとサスペンスや昼ドラを見ているような気分になって来るのだった。
「作文」は、それほど面白い。
「え~…そこまでやったら見つかっちゃうでしょ。」
と、ハラハラしたり、
「昼ドラかよ!」
と、ツッコんだりしている内に、ストーリーはいつの間にかジェルマンを追いこんでいるのだった。
クロード・ガルシアを演じるエルンスト・ウンハウワーくんが、もの凄く怪しい美少年。
この美少年を見ているだけでも100分間、満足してしまう…。
『マンク』にも出ていたらしいけれども、全く気付かなかった。どこに出てたんだろ。
玉木宏さまに似ているよね。この人…。っていうか…純正フランス人の美少年にソックリな日本人・玉木宏って一体……。いや、この映画とは全く無関係なんですけどね。
何百何千と見える人の家の灯り。
余所の家庭は一体どんな家庭なんだろうか。
それを鍵穴から覗き見る好奇心。
現状に満足できないから、孤独だから、余所を覗きたいのかもしれない。
フィクションの中にはそういう好奇心を埋める何かがある。
現実だかフィクションだか解らないからこそ、そこには面白さがあるのだ。
それは危険なら危険なほど面白い。
つづく……。
以下ネタバレ感想
『週末』を描くクロードの作文には障がい者の父と2人暮らしの自分の家庭は出てこない。
「平凡だから選んだ」という、目立たないクラスメート。
「独特な中産階級の女の香り」がする彼の母。
特上の家庭だから選んだわけじゃない。
特別な美人だから選んだわけじゃない。
「ラファの家」は、クロードの理想なのだ。
恐らく、そこを覗き、入り込めればそれで満足だったはずのクロードの鍵穴的好奇心は、ジェルマンの「指導」によってエスカレートしていく。
リアルではなく文章を指導していたはずのジェルマンは、だんだんクロードの世界へ入り込んでいく。
最終的にはジェルマンはクロードの「読者」なのだ。
A.ラファ父子がクロードを殺す。
B.彼が父子を殺し家に残る。
C.エステルが男3人もろとも家を焼く。
結末D.
つぶやくエステル
「裸足でも雨は踊らない…」
どの結末も現実のクロードの手には入らず、ジェルマンの物語は悲惨な結末を迎えた。
この物語の限界。
フィクションは現実を侵食できない。普通の状況では。
ラスト、目の前に広がるアパートのいくつもの部屋の灯りは『裏窓』だ。
あれが本当に目の前に広がっているのか、クロードとジェルマンの想像の世界なのかは解らない。
どこまでが現実なのか、あれが現実なのかは大した問題じゃない。
小説は小説だ。映画は映画だ。
人の家に入り込む彼らの物語は「続く…」。
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